なんやらかんやら

うどん食いたい

今日読んだ論文とそのコメント 8/10分

昨日に引き続き教育と新自由主義みたいなテーマ。

 

CiNii 図書 - 現代日本の団体政治 http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB11126522 #CiNii

この中の『新自由主義的教育改革の政治過程とその分析視角 / 森裕城 [著]』を今回は取り上げることにする。

 

通例的に日本における新自由主義改革は、同時代のアメリカ、イギリスで進行した改革と比べて、「予防的」であるな性格が強いと指摘され、それゆえ、政治学の分野で日本の改革が分析される際には、主としてエリート側の改革意図に焦点が当てられ、当該の改革が社会に対してどのような影響を与えているかということが論じられらない傾向があると著者は最初に述べ、この論文は日本における新自由主義の広がり方、教育改革を題材とし、その影響を政治エリートの側からではなく、改革の影響を受ける側である集団の視点に立って確認するものである。

 なぜ日本の教育改革は「迷走」するのか、そこにはどのような力学が働いているのか、それを教育に関係する人々はどのように捉えているのか。こういう問題を検討することを通じて、日本社会の変化を捉えたい。 同論文47頁より引用

 

論文の構成として、まず、教育内容とはどのように決まるのかについて焦点を当てている。この中で、教育政治の三極モデルについて取り上げている。極になるのは「族議員・文科省」「財界・改革派」「政治的リベラル・社民勢力」の3つである。もともと教育政策に関しては伝統的に「族議員・文科省」と「政治的リベラル・社民勢力」の2極が政策的に対立していたが、90年代に日本経済が低迷し、グローバリゼーションに対応するために産業構造を転換する必要性が出てきた。これに対応するために経済界は教育問題を重要論点として認識するようになった。この辺りから第三極として「財界・改革派」が教育政策に大きく関わるようになってきている。

 

この時代の教育改革の代表例として「ゆとり教育」が挙げられる。ゆとり教育の大部分は「族議員・文科省」「政治的リベラル・社民勢力」の政策意図が大きく反映されているが、「ゆとり教育」の失敗によって、日本の教育レベルの低下を招き、上記のグローバリゼーションに対応するために90年代後半から「財界・改革派」が「脱ゆとり教育」を推進するに大きく関係するようになってきた。しかし、これには大きな問題が生じる。彼らの考えとしては

「できる子ども・恵まれた家庭の子どもには個性・能力に応じてどんどん先に進める教育を、そうでない子どもには『ゆとり』のなかでゆっくり学んでいけばいい」(藤田2005:187-190)

 という教育格差拡大を肯定する考えがあり、それが脱ゆとり教育の方向性となる問題が生じている。

 

この結果として、「新しい荒れ」が生じるようになった。

「新しい荒れ」とは学級崩壊、いじめ、キレる、暴力をふるう等の「なんでもあり」と称される逸脱行動であり、1990年代後半になって顕著になった現象である。 同論文55頁より引用

 このような問題に対して、伝統的に日本の教師はこどもたちによって表出された行動をその文脈や関係性に配慮しながら捉えることを課題としてきていたが、教師の公務多忙化、「同僚性」の低下、非正規雇用の増加などによって後手後手に回る状況であり、現実の問題分析が遅れていた。よって教師は自分の経験に基づいて指導するということになり、それは教育の市場化の影響下にある子どもたちの市場個人主義的行動や雰囲気、つまり「なんでもあり」との感覚に溝を生んでいると著者は結論づけている。

 

このような問題と、安倍政権時に改正された教育基本法による影響によって学校教育はダブル・バインドの状況になっていると著者は述べている。新しい教育基本法は「愛国心」を「教育の目標」に明記した条文が新たに明記され、また他にも

「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負つて行われるべきものである」 

 とされていた旧法の条文が

「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律が定めるところにより行われるべきもの」 

 に変更されているのも重要である。

教育基本法は旧法に比べ条文数が11から18に増加し、政府が積極的に教育全体に関与する姿勢が見られるようになった。安倍政権はこの他にも各種教育に関する法令を整備し、結果として文部科学省は規制・管理強化という点では教育現場に対する力を増加する成果を手にしたのである。

これがダブル・バインドと呼ばれる状況を生み出していると著者は述べている。

最後に著者は

社会への影響という実態レベルで捉えれば、子どもたちは明らかに新自由主義の潮流にさらされており、教育関係者はそのことを問題視している。こうした認識のすれ違いこそが、いずれにしても、改革をする側のエリートの動向と改革の影響を受ける側の弱い立場にある人々の動向を、トータルに把握するための分析枠組の構築が急務と言えよう。 

 と結論付けている。

 

以上が論文の乱雑ではあるが、簡単な要約である(この時点で2100字ぐらい)

 

私の意見、感想としては、この論文の内容自体は年報政治学の季刊であるだけに、洗練された内容であり、私みたいな知識経験もまだまだな学生にとっては知らないことばかりである。その中で大きく参考になったのは、冒頭の「政治改革の影響を受ける人々がどのような影響を受けるか」という分析が少ないということである。

確かに、言われてみればそうであると関心させられることが多く、私自身もなるほどと思わせることがあった。また、この論文は内容がギッチリみっしりなだけあって、要約も苦労した。自分自身も要約途中で文章構成が破綻している可能性がありうるのは否定できない。よって、なるべくは図書館などでこの論文の原文を見て欲しい。

他にも感想や意見などはあるが、もうつかれたよパトラッシュ状態なので、今回は勘弁させてもらいたい。もう2500字ぐらいになるし、これって大学のレポート一本分ぐらいになるし、これを引用とはいえ、1時間ちょいでやるのはつかれた。

 

本日の論文紹介はこんな感じで。