なんやらかんやら

うどん食いたい

今年のn冊

 今年出版された書籍

自民党政治の変容 (NHKブックス No.1217)

自民党政治の変容 (NHKブックス No.1217)

 

 日本型多元主義が~の下りが正直良くわからなかったけど、他は概ね高評価。北岡の「自民党」と一緒に読むとなおよし。

自民党―政権党の38年 (中公文庫)

自民党―政権党の38年 (中公文庫)

知の格闘: 掟破りの政治学講義 (ちくま新書)

知の格闘: 掟破りの政治学講義 (ちくま新書)

 

 何も言うまでもない。御厨ワールド全開の書籍。

 

基礎からわかる選挙制度改革 (現代選書26)

基礎からわかる選挙制度改革 (現代選書26)

 

選挙制度改革を学ぶ上でとりあえず読んでおけとオススメしたい一冊。

 

日本銀行と政治-金融政策決定の軌跡 (中公新書)

日本銀行と政治-金融政策決定の軌跡 (中公新書)

 

 タイトル通りの新書。重厚な内容だけど、時系列と論理がしっかりとまとまっているので、頭にスッと入った。

 

 

それ以前に出版された書籍

 

原因を推論する -- 政治分析方法論のすゝめ

原因を推論する -- 政治分析方法論のすゝめ

 

 方法論の話。やっぱり基礎は固めないとねということを実感させられた。

 

消費税 政と官との「十年戦争」

消費税 政と官との「十年戦争」

 

 著者がずっと追ってきた消費税を巡る議論をまとめた書籍。これもとりあえず読んでおけという書籍。

 

自民党長期政権の政治経済学―利益誘導政治の自己矛盾

自民党長期政権の政治経済学―利益誘導政治の自己矛盾

 

正直、英語塾やってる場合じゃないでしょと思う一冊。

 

 

ネット選挙が変える政治と社会―日米韓に見る新たな「公共圏」の姿

ネット選挙が変える政治と社会―日米韓に見る新たな「公共圏」の姿

 

 論文集。日本で考えられてるネット選挙が空想のモノでしかないという現実を突きつける一冊。

 

 みなさん良いお年を!来年こそは書評を再開したい。

就活終わりました。

タイトル通り就活終わりました。来年を覚悟しつつ、最後まで初志貫徹を貫いた結果、大逆転の結果です。個人的には大満足してます。

 

で、TCGどうすっかなんですけど、ネグザに関してはカードをある程度処分しようかなと。どうせ大した値段にならなさそうですし、これは譲る形で。

書評も再開します。そのためにちょいちょい読書を進めてます。

 

 

TCGを中断してから大体半年過ぎました。

お久しぶりです。最近は絶賛就活中です。

気づいたら半年以上放置してましたね。100本論文も落ち着いたら再開したいです。

最近、ふと気づいたのでブログを更新しようと思いました。タイトル通りTCGを中断してから大体半年が過ぎました。

去年の11月ぐらいに日常生活、特にゼミが忙しくなりTCGを中断という形で離れました。厳密に言えば12月にネグザの熊本大会に出ましたが、真面目に練習したとはいえないですし、それよりクリスマスどうするかとか就活どうするかが気になってたので、実質中断みたいなもんですし、最後に触れた機会でした。

この半年は就活とゼミに専念しました。

就活はまだ満足行く結果が出てないので、秋採用がある8月中旬から9月始めまで続けます。これは仕方がないかなと。一生を決めますし、そもそも第一志望の業界は超狭き門なので、これは覚悟してました。

ゼミは卒論に向けて絶賛文献消化中です。どこかしらのタイミングで打ち切らないとなぁとは思ってますが、ちょっとしんどいですね。扱ってる題材がとんでもない魅力に溢れてるので大学院に引きずられそうで怖いです。

で、この半年TCG中断して感じたことなんですが、TCGに注いでたリソースを色々と振り分けた結果、読書時間や情報を得たり処理する時間が飛躍的に増えました。今まで繋がってなかった独立した情報と情報が、リソースを増やし、アンテナを広げたことによって繋がり、一貫性が生まれました。得る情報量が飛躍的に増えましたが、TCGやってた時期よりも情報がスッキリと処理できるようになりました。

私自身がもう少し効率良ければ話は違うのだろうとは思いますが、TCGで遊ぶ、特に勝つことを求めるということは負担が大きいということなのかなと思います。だからこそ楽しいとも言えますが。

まだ全然考えれませんが、就活が終わってから何をするかということを考えた時、再びTCGに戻るのか。ということはわかりません。希望通り志望職種に就職できた場合、一般的な職業よりは激務が予想されますし、TCGみたいな時間をかけるという趣味で結果を求めることは難しいです。そもそもキッチリ土日が休みかどうかさえ保証はされないだろうと思います。

でも、この趣味もかれこれ10年以上続けていますし、築いてきたものを放棄するのももったいない気がします。特にTCGを通じて知り合った交友関係は貴重な財産です。

なので、就活が終わってからにはなると思いますが、ゆっくり悩もうと思います。

書評とか論評とか。4冊目

お久しぶりです。jfjunです。

前に更新した以来、結構洒落にならんぐらいには忙しかったので、文献自体は読むことをやったいたのですが、いかんせん文に起こす時間がなかってズルズルと一ヶ月ぐらい経過しました。やらんとヤバいのはわかってたので、できる限り頑張ります。

 

今日は長々書いてもあれだし、軽めに書評します。

 

国会議員の仕事―職業としての政治 (中公新書)

国会議員の仕事―職業としての政治 (中公新書)

 

こちらの書評です。

 

著者は自民党議員の林芳正と民主党議員の津村啓介の2人で、「国会議員になるまでの経緯」「国会議員になってから小泉政権が終わるまで」「小泉政権後から政権交代まで」「政権交代後」の4つの時期について両者が自分の体験談を執筆しているスタイルで、最後に対談があるという形です。

本書のテーマは「職業としての政治」であり、普段我々が詳しく知ることが難しい国会議員はどんな仕事をしているのか?読者に詳しく知ってもらうというテーマである。

 

林芳正は父が大蔵大臣を務めたことがある林義郎であった「政治家の家系」であり、一方津村啓介は普通のサラリーマンの家庭であり、両者が国会議員になる過程というのは比較してみると非常に面白い。特に津村啓介民主党の公募制度で公認を得るというのはのちに対談で触れられるが、政党のリクルートメント機能を考える際に参考になる。

本書で両者一致しているのは、官僚とどう接していくかということに悩んでいるという点である。これに関しては民主党の「政治主導」や橋本内閣から続いてきた行政改革と関わってくるし、現場で実際に経験した話というのは非常に貴重である。

 

とまぁ色々あるが、久々の書評で疲れてるし、集中力持たねぇし、鳥人間コンテスト見たいわってことで省略させてもらう。

政治学を研究する上で国会議員にインタビューをするというのはなかなか難しい。だからこそ国会議員サイドからの情報発信というのは歓迎するべきであるし、今後も増えれば研究も進むのではないだろうか。特に小泉さんには色々語って欲しいなぁ。小泉政権というのは現代日本の政治にとって無視できない存在だし

 

ということで今回の書評はなかなかひどい文章だが、こんな感じで終わらせてもらう。

P.S

やっぱ国語力付けたいわ。努力します。

今日読んだ論文とそのコメント 8/11分

自民党政治の終わり (ちくま新書)

自民党政治の終わり (ちくま新書)

 

今日は論文ではなく、新書を紹介しようかなと。

この著書は自民党研究の大御所の野中尚人先生が書かれた新書で、旧来の「自民党システム」がどのようにして変わったのか、ということを小沢一郎小泉純一郎の2人に焦点を当てて説明している。

僕の研究テーマは自民党が包括政党からイデオロギー政党へと移行しつつある、それは何故か?という研究テーマであり、この著書は大きな羅針盤となっている。というか、野中先生がこの本で書かれた以下の仮説を検証するのが僕の研究である。

今まで自民党は、利害を調整し、イデオロギー的な問題を先鋭化させることなく妥協によって政治を行なってきた。ところが、主張と主張が強くぶつかり合う強いリーダーシップの下では、敵対的なグループ化が進行する。小泉が郵政民営化を最後まで貫徹した結果、反対派は延々と抵抗を繰り広げた後、最後は国会で造反し、結局は自民党から追い出された。自民党型の包括政党は、単に有権者のレベルだけではなく、国会議員集団の組織的原理としても包摂を旨とし、仲間を排除しないことが暗黙のルールであった。しかし、小泉改革はそれも壊したのである  同書106頁より引用

 

敵対的なグループ化は、イデオロギーによるグループ化へと進みやすい。論争に勝ち抜くための理論武装が必要になるからである。従来の自民党にも、イデオロギー的なグループが全くなかったわけではない。しかし、小泉政権下で進行した事態は別の次元である。つまり、本格的なイデオロギー派閥の登場に近いのである。例えば安倍晋三麻生太郎中川昭一らのグループは、外交・歴史認識問題などを中心として右派的な考え方を共有している。現状では派閥ではないものの将来の総選挙で一定の役割を果たすことになるとすればそれは大きな変化である  同書106Pより引用

 本書が書かれたのは2008年であり、まだ政権交代前であるが、現在の自民党に通じるものがあると思う。

自民党の意思決定、政策決定がどのようなものであったか、というのを知るにあたって新書ということもあり、わかりやすくなっている。Amazonの中古でタダ同然の値段やブックオフで105円で買えると思うので、是非興味がある人は購入して読んで貰いたい。

今日はなんやかんやで忙しかったので、簡単だけどこれで。

明日は海に行きますので、お休みさせてもらいます。

今日読んだ論文とそのコメント 8/10分

昨日に引き続き教育と新自由主義みたいなテーマ。

 

CiNii 図書 - 現代日本の団体政治 http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB11126522 #CiNii

この中の『新自由主義的教育改革の政治過程とその分析視角 / 森裕城 [著]』を今回は取り上げることにする。

 

通例的に日本における新自由主義改革は、同時代のアメリカ、イギリスで進行した改革と比べて、「予防的」であるな性格が強いと指摘され、それゆえ、政治学の分野で日本の改革が分析される際には、主としてエリート側の改革意図に焦点が当てられ、当該の改革が社会に対してどのような影響を与えているかということが論じられらない傾向があると著者は最初に述べ、この論文は日本における新自由主義の広がり方、教育改革を題材とし、その影響を政治エリートの側からではなく、改革の影響を受ける側である集団の視点に立って確認するものである。

 なぜ日本の教育改革は「迷走」するのか、そこにはどのような力学が働いているのか、それを教育に関係する人々はどのように捉えているのか。こういう問題を検討することを通じて、日本社会の変化を捉えたい。 同論文47頁より引用

 

論文の構成として、まず、教育内容とはどのように決まるのかについて焦点を当てている。この中で、教育政治の三極モデルについて取り上げている。極になるのは「族議員・文科省」「財界・改革派」「政治的リベラル・社民勢力」の3つである。もともと教育政策に関しては伝統的に「族議員・文科省」と「政治的リベラル・社民勢力」の2極が政策的に対立していたが、90年代に日本経済が低迷し、グローバリゼーションに対応するために産業構造を転換する必要性が出てきた。これに対応するために経済界は教育問題を重要論点として認識するようになった。この辺りから第三極として「財界・改革派」が教育政策に大きく関わるようになってきている。

 

この時代の教育改革の代表例として「ゆとり教育」が挙げられる。ゆとり教育の大部分は「族議員・文科省」「政治的リベラル・社民勢力」の政策意図が大きく反映されているが、「ゆとり教育」の失敗によって、日本の教育レベルの低下を招き、上記のグローバリゼーションに対応するために90年代後半から「財界・改革派」が「脱ゆとり教育」を推進するに大きく関係するようになってきた。しかし、これには大きな問題が生じる。彼らの考えとしては

「できる子ども・恵まれた家庭の子どもには個性・能力に応じてどんどん先に進める教育を、そうでない子どもには『ゆとり』のなかでゆっくり学んでいけばいい」(藤田2005:187-190)

 という教育格差拡大を肯定する考えがあり、それが脱ゆとり教育の方向性となる問題が生じている。

 

この結果として、「新しい荒れ」が生じるようになった。

「新しい荒れ」とは学級崩壊、いじめ、キレる、暴力をふるう等の「なんでもあり」と称される逸脱行動であり、1990年代後半になって顕著になった現象である。 同論文55頁より引用

 このような問題に対して、伝統的に日本の教師はこどもたちによって表出された行動をその文脈や関係性に配慮しながら捉えることを課題としてきていたが、教師の公務多忙化、「同僚性」の低下、非正規雇用の増加などによって後手後手に回る状況であり、現実の問題分析が遅れていた。よって教師は自分の経験に基づいて指導するということになり、それは教育の市場化の影響下にある子どもたちの市場個人主義的行動や雰囲気、つまり「なんでもあり」との感覚に溝を生んでいると著者は結論づけている。

 

このような問題と、安倍政権時に改正された教育基本法による影響によって学校教育はダブル・バインドの状況になっていると著者は述べている。新しい教育基本法は「愛国心」を「教育の目標」に明記した条文が新たに明記され、また他にも

「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負つて行われるべきものである」 

 とされていた旧法の条文が

「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律が定めるところにより行われるべきもの」 

 に変更されているのも重要である。

教育基本法は旧法に比べ条文数が11から18に増加し、政府が積極的に教育全体に関与する姿勢が見られるようになった。安倍政権はこの他にも各種教育に関する法令を整備し、結果として文部科学省は規制・管理強化という点では教育現場に対する力を増加する成果を手にしたのである。

これがダブル・バインドと呼ばれる状況を生み出していると著者は述べている。

最後に著者は

社会への影響という実態レベルで捉えれば、子どもたちは明らかに新自由主義の潮流にさらされており、教育関係者はそのことを問題視している。こうした認識のすれ違いこそが、いずれにしても、改革をする側のエリートの動向と改革の影響を受ける側の弱い立場にある人々の動向を、トータルに把握するための分析枠組の構築が急務と言えよう。 

 と結論付けている。

 

以上が論文の乱雑ではあるが、簡単な要約である(この時点で2100字ぐらい)

 

私の意見、感想としては、この論文の内容自体は年報政治学の季刊であるだけに、洗練された内容であり、私みたいな知識経験もまだまだな学生にとっては知らないことばかりである。その中で大きく参考になったのは、冒頭の「政治改革の影響を受ける人々がどのような影響を受けるか」という分析が少ないということである。

確かに、言われてみればそうであると関心させられることが多く、私自身もなるほどと思わせることがあった。また、この論文は内容がギッチリみっしりなだけあって、要約も苦労した。自分自身も要約途中で文章構成が破綻している可能性がありうるのは否定できない。よって、なるべくは図書館などでこの論文の原文を見て欲しい。

他にも感想や意見などはあるが、もうつかれたよパトラッシュ状態なので、今回は勘弁させてもらいたい。もう2500字ぐらいになるし、これって大学のレポート一本分ぐらいになるし、これを引用とはいえ、1時間ちょいでやるのはつかれた。

 

本日の論文紹介はこんな感じで。

 

今日読んだ論文とそのコメント 8/9分

CiNii 論文 -  新自由主義愛国心教育 : 安倍政権の教育改革を中心に http://ci.nii.ac.jp/naid/110008752386 #CiNii

今日はコレ。三日坊主にならんといいねと願いつつなるだけ頑張ります。一応なるべくは毎日更新したい願望のお年頃。

 

新自由主義」は、愛国心などを重視する「新保守主義」と結合するというグローバル化をすすめる新自由主義が何故「国」という枠組みに当てはめて、公教育による愛国心の育成を主張するのか。という疑問を安倍政権の教育改革の事例を取り上げ、検証している論文である。

 

まず、最初に著者は最初に一つの疑問を設定する。「個人の自由を重んじる新自由主義者がなぜ国家による道徳や愛国心の押し付けに賛同できるのか」という疑問を設定しているが、この疑問を安倍晋三が教育問題に関わってきた経緯を踏まえ「新保守主義者がなぜ新自由主義的な市場原理主義を容認し受容しえたのか」という疑問に置き換えている。

 この疑問に基づき、まず、アメリカとイギリスの例を検証している。

アメリカの例としてロナルド・レーガンを取り上げ、レーガンの政策の方針として、新自由主義的な政策、「自由市場の中で自己責任において競争し、それによって人の能力を最大限に発揮することで、社会のあらゆる部門で活力を引き出す」この政策の方針の根幹には「アメリカの建国精神のまさに中核にある自立と自助」があるとし、「保守」とは「建国の精神に立ち戻ること」であるとしている。つまり、アメリカの伝統の中に新自由主義を支える理念があるとしている。

 

イギリスの例も、保守党出身であるサッチャーがみずから「ヴィクトリア時代を模範とした強い自主独立精神に満ちた個人を称揚し」と発言していることから、英米二カ国では保守が新自由主義政策を採りうる文化的・思想的な素地があったと著者は結論づけている。

 

日本ではこういった自助や自立、個人の財産権といった英米流の観念が伝統的にあったわけではなく、新自由主義と保守の間には論理の整合性があまり整ってはなく、また、彼自身が進める教育改革は「新自由主義」と「新保守主義」との関係で見ると矛盾に満ちている。では、何故教育改革を行ったのか、というのでは著者は80年代の社会科教科書問題を取り上げ、この事例と安倍政権が行なっている事例の類似性があるのではないかと結論づけている。

 

その後著者は新自由主義新保守主義がもともと重なりあう点があり、その結節点は反福祉国家、反リベラリズムであり、これらを攻撃するに対して両者は親和性を持つが、それ以外だと整合性に大きな齟齬をもたらすと述べている。

 

で、この後普通は第一の疑問である、「新保守主義者がなぜ新自由主義的な市場原理主義を容認し受容しえたのか」という疑問に立ち返り、日本での事例を詳しく検証すべきであるが、なんと著者はこれを踏まえて俺の考える日本のグローバル化時代にふさわしい愛国心教育はこうだ!という自論を展開している・・・・・

 

あ、あれ、今一体何が起こったのかry

 

著者の疑問点や着眼点、というのは非常に面白く、確かに新自由主義新保守主義がセットで語られるのが一般的になっているというのは疑問が残る。

英米の事例では納得いく説ではあるが、日本の事例は納得いく説を展開していない。

俺の考えた愛国心教育~が書きたかっただけではないのか?という疑問が残り、英米の事例が納得いくだけに、日本の事例をしっかりと展開できていないのが非常に残念である。

 

とりあえず、今日の分はこんな感じで。